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斎王群行(ぐんこう)とは、発遣の儀式を終えた斎王が葱華輦(そうかれん)という輿に乗り
都から伊勢へ赴く旅のことで、
斎王に仕える官人・官女に加え、
伊勢まで旅を見届ける長奉送使など数百人に及ぶ
壮麗なものでした。
時を越えて、いにしえの斎王の面影を巡る旅です。
群行時の宿泊施設のひとつであり、今もなお土手や井戸跡が現存しています。現在、国の史跡に指定されており、内田康夫の小説「斎王の葬列」の舞台となった地でもあります。
甲賀土山IC下車すぐ
天平12年(西暦740年)、聖武天皇は伊勢行幸の際に河口行宮・一志郡を経て、11月4日に赤坂の頓宮に着き23日まで滞在したとされています。
現在は整備されて公園となっており、斎王群行図がカラフルに描かれた石碑もあります。
斎王と共に群行していた女官がこの井戸の水面に映った自分の顔を見て、都への思いを断ち切らなければと詠んだ歌「わかれゆく都のかたの恋しきにいざむすび見む忘れ井の水」が石碑として保存されています。また、忘れ井は宮古地区・久米地区の2箇所に存在し場所に関しては諸説あるようです。
斎王の離宮があった場所で、かつて斎王が年3回伊勢神宮へと向かうために宿泊した場所とされています。斎王の宮殿を「斎宮」(さいくう)と呼びますが、それが伊勢神宮まで遠いという理由から離宮院そのものが斎宮となっていた時期もあったようです。その後、斎宮の廃絶とともに離宮院も消えることとなりました。現在は芝生広場などが広がる「離宮院公園」として、多くの人に親しまれています。